おっさんは戦争映画と文庫本が餌

裏町徘徊中年のガード下壁新聞

80年代アフガン紛争、地獄の最終局面を描く『リービング・アフガニスタン』

f:id:daily-uramachiaika:20190915140503j:plain 

DVDで『リービング・アフガニスタン』2018年ロシア映画。監督パーヴェル・ルンギン。日本公開2019年(カリコレ)、同DVD発売。原題「БРАТСТВО(=Brotherfood)」

 久々に見たアフガン戦争(ソ連のアフガン侵攻、78年-89年)もの。それも89年、ソ連軍撤退の内幕をハードに描く。ソ連の撤退戦を描く映画としては『レッド・ストーム アフガン侵攻』(91年 監督ウラジミール・ボルトコ)というVHS発売のみの傑作ソ連映画があるが、戦闘シーンをさらにハードに、かつ現代的手法で描いたこちらも傑作といっていい。監督のパーヴェル・ルンギンは90年の『タクシー・ブルース』でカンヌ映画祭の監督賞を受賞した名匠。

 アフガニスタン侵攻はソ連国内の内政事情(ペレストロイカ民主化要求の進行)などもあり80年代末期にはソ連の劣勢となり、88年に和平協定が調印されて撤退が始まった。本作の冒頭のテロップ「戦争を終らせるのは始めるより困難だ」が示すように、多民族のアフガンでは部族によっては戦闘を続けている集団もあり、ソ連軍の撤退は混乱を極めた。地域によってはムジャヒディンの攻撃が止まず、ソ連軍は祖国への退路すら確保できないありさまだった。その撤退路確保の交渉役にKGBが呼ばれる。KGBはムジャヒディンとソ連軍との仲介に暗躍し、ナアナアの関係の模様で、軍服を着ず丸腰で交渉に赴き話をつける。ただし移動中を狙われて何度も殺されかける。こうした戦地での交渉役の描写が独特であり、今の時代でなければ描けない題材かもしれない。

 手持ちカメラを用いたドキュメンタルな戦闘シーンは凄まじい戦死をストレートに描いている。無駄死にや虐殺も描かれ、けっして従軍を美化してはいない。それが05年の『アフガン』(原題『9 ROTA(第9小隊)』11年日本版DVD発売)と本作の決定的な違いだ。これは最近のロシア戦争映画では特異な主張に感じられる。

 撤退を前にしたソ連軍のヤケクソ的な略奪的行為と並行し、スティンガーに撃墜された航空機から脱出、ムジャヒディンに拉致されたソビエト将軍の一人息子(パイロット)の奪還作戦が描かれる。作戦に駆り出されたのが祖国への帰還を目前にした第108軍の兵士たち。あとは帰還するだけと知っている彼らは、自分の身を守ることとアフガン人から盗むことしか考えていない。その結果ますますひどい状況が生まれるのだが、戦闘の最終局面ではムジャヒディンも無理はせず鷹揚に金で解決することを求める。と思ったら、ソ連軍は相変わらず最後にクソを投げつけて帰ってゆく。暗澹たる終盤である。しかしこれが戦争の現実だとも強く納得させる。

 БРАТСТВО=Brotherfoodという題はどういう意味なのか。司令部、KGB、兵士の間に兄弟のような連帯感はまったくない。そういう感動的な映画ではない。むしろ終盤、ムジャヒディンの首領が最後に人質になった兵士にアレクサンドル・ファジェーエフの「若き親衛隊」のアフガン版書籍を見せて、「我々はここから多くを学んだ」と革命やソ連軍の軍紀についての尊敬を口にする、その部分に意味があるのかなと思ったり(「若き親衛隊」ってそんなに薄い本か?とも思うが)。

 ファジェーエフはドイツ占領下のウクライナでのパルチザン活動を描いた「若き親衛隊」で46年にスターリン賞を受賞した。ところが47年に政府によってこの作品が否定され、改作を余儀なくされている。それでもファジェーエフはスターリンを信奉し、スターリンの死後の56年、フルシチョフスターリン批判をしたことに衝撃を受け、自殺した。Brotherfood、兄弟というタイトルは、このように常に権力に手のひら返しされた弱者たち連帯を意味しているのだろうか。この後、アフガニスタンでは武装勢力による泥沼の内戦が始まる。ソ連は連邦解体と経済崩壊の地獄が待ち受ける。東側ではいくつもの国で独立戦争や内戦が始まる。戦争の終結は必ずしも平和の到来ではないのだ。

 資料がないと完全には分からない部分もいくつかあるが、独特の緊迫感と迫力に満ちた傑作戦争映画である。

 

f:id:daily-uramachiaika:20190916145248j:plain  f:id:daily-uramachiaika:20190915163814j:plain   f:id:daily-uramachiaika:20190915201632j:plain